愛という曖昧なもの

(とうとう雪風カテゴリ作っちゃったよこの人)
うーんと。最近雪風可愛い雪風可愛い雪風×零萌えーとかしか言ってない私ですが、
物凄く冷静に過去のハマリものと照らし合わせて自分の萌え(&燃え)属性を探っていくと、
以下のような特徴がありました。

  • 受の過去が滅法不幸。
  • 受が人間不信、もしくは心を閉ざしている、コミュニケーション不全。
  • (上のに引き続き)しかし徐々に人間らしさ(or明るさor優しさ)を取り戻していく。
  • 軍人萌え。更に規律に縛られる事の無い(というか自由度高い)軍属萌え。これは他の項目と関連性無し。
  • 受が攻にメロメロパンチ(←?)
  • 異種族愛萌え。人間外×人間大好き。というかむしろなんだっていい、萌えるなら。
  • (上ので)更にその『愛』が一概に『恋愛』と言えない曖昧なものが良い。
  • つまりは「愛」さえ感じられればこっちで勝手に萌えます。

みたいな(笑)
ただ、異種族愛に関しては誤解招きそうなんで細かく言いますと、
別に障害が多い愛の方が燃えるとか、そういう訳の解らんハードルを置いて、
勝手に自己満足している訳ではありません。多分。
禁止される方に注意が引かれるのは人間の性とも言えるでしょうが、それはひとまず置いておきます。
恋愛に限って言えば確かに背徳物は大好きですが、そもそも『背徳』って言葉自体が
キリスト教賛美みたいで嫌なんですよね。個人的に。
背徳って言葉はそもそも道徳に背くものって意味で、その道徳をと言えば、辞書で引くと

ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。

とはありますが、これって結局は周囲の顔色窺っているだけじゃないのかと。
「これをやってはいけないからやらない」のではなく、それによって生じる周囲との軋轢が
面倒で厄介だと感じているからやらない。それに背くと背徳行為になってしまう。
しかし社会的規範が絶対的に正しいとは言えないでしょう。
特に人の感情にまつわる、定義の曖昧なものに関して、
マイノリティがマジョリティの中で淘汰されるような風潮は、愚かしいと思いますよ。
そもそも『道徳に背く』って言葉が気に喰わない。
なんだか字面が偉そうです。『道』に『徳』だなんて。
恥の概念を持っていたのが日本人だったのならば自分自身の恥の概念に照らし合わせりゃ良いんです。
周囲の顔色なんぞ窺わずに。
社会の規範に則って考えなきゃいけない程、自分の中の倫理が低下しているとは思いたくないです。
道徳ってのは、法律よりは普遍的に人の意識に介在しているものだけど、その実『自分基準』ではなく、
やっぱり『外の世界基準』なんですよねぇ。自分の目線で物を考えてない気がする。
まだキリスト教の『罪を犯す』の方が、背徳行為と言う言葉に説得力がある気がします。
神を徳と置き換えて、神に背を向ける、つまりは罪を犯す事が背徳行為ってのは解るんですよ。
しかし、基本的に多宗教の存在する日本では『罪』の意識よりもいまだ『恥』の意識の方が強い訳で、
存在しない神の罰なんかより、隣人の白い目の方がずっと気になるんですよね。
でも周囲の目が気になるという事は、自分の興味の対象は自分自身の内側にこそあるのであって、
本来の意味で他者の目を気にしている訳ではないと思うのです。
他者じゃなくて、他者の目を通してみた自分にこそ興味がある。
だから白い目で見られる自分に耐えられない=恥、となるわけですよねぇ?
て、長くなりましたが。
そんな中私がいいたいのは、私が好きなのは、一般カテゴリ的にいえば「背徳」にあたるんでしょうけど、
自分としてはそんな『道徳』はくそくらえな訳で、好きに良いも悪いもあるかってんだって事、です。
愛なんて、定義すら難しいものを当事者間の感情の交流をそっちのけに、
部外者が「背徳」だのなんだのいうのがどうよ、とか思うのです。
うん、だからね。
ホント回りくどいんですけど、零という自我と雪風という自我が仮にあるとして、
三者目線で「機械しか愛せない零は可哀想」という目は、それはそれで一つの考え方なんだろうけど、
私とは反りが合わないだろうなぁ、という事なんです。
いえ、実際、零を『痛々しい』と思う理由も感覚も解りますし、正常と見なせない事も解ります。
でも私は可哀想ってのは結構無神経な言葉じゃないかと思うし、
本来の意味を考えれば易々と口にしたくはないですよ。
所詮他人事だから言える言葉、だと思いますしね。
んで、本気で雪風好きっぽい(ここら辺はやっぱ見る側の解釈しかないんですけど)零は、
私には幸せそうに見えるので、寧ろ良いなぁと羨ましくすら思えるのですけどね。
自分の唯一無二は『人間』だと定義するよりは世界に広がりがあって面白いんじゃないかと。
選択肢は多い方が良い、てのは考え方が甘いんですかね?(笑)