愛という曖昧なもの・追記

気がついたらいいたい事が擦り変わってたらしい。今見て驚きました。
結局ね、だから『背徳』的な思いだからこそいいとかじゃなくて、環境とか時流とか関係なく、
気がついたら「それ」を愛していた、ってのが好きなんですよ。
不健全だとか、どこかおかしいのだとかなんとでも外野は言う事ができるけど、
そこにある愛そのものの存在は疑いようのないものなのですもの。
確かに零は「他に何もない」という言葉を吐いたりして、そう言った環境だからこそ芽生えた
屈折した愛と捉える事もできるでしょうが、でもその中で雪風を選んだのも零であって。ブッカーとか居たのにね。
(↑一番に愛する対象という意味であって、恋愛対象、という意味ではありません。念のため)
それを偏愛だとか言えるのもやっぱり外から見ているだけの人間だと思うので。


……ってここまで書いておいてなんですが、だから私も当事者ではなく、
しかも創作物を見て感じたものを自分なりに解釈してるんだから、
やっぱり私のも他者から見た歪みがあって(笑)
というかそもそも捉え方を間違っていたら目もあてられないですヨ(笑)
だからといって作者様が全部登場人物の心の動きを把握しているかといったら、
それも違うような気がします。物語って生き物みたいなものだし。
こういうだろうな、って思う台詞を言わせてても、
では四六時中その登場人物の気持ちになりきれるかといえば、きっとそれは不可能でしょうから。
うーん。
またなんか書きたかった事とずれた気がします。
何やってるんだか。