オタ女の観点から



こういうブログを目にした訳です。


こりゃオタとしては一言言っておかなきゃなんべぇ!というわけでざかざか書きます。


まず最初に断っておきますと、kachiraはこんな『文化庁メディア芸術祭』なんてものが催されている事も知りませんでしたし、こういったポスターが展示されている事も知りませんでした。
だから完全な外野からの物言いになります。
ですがブログ書いていらっしゃる本人も行ってらっしゃらないようなのでノープロブレムかと。


さて。
問題のポスターですが、kachira的には「わーこりゃまたロリオタが好きそうな……」て印象を受けるんですよね。勿論偏見です。分かってます。
そしてkachira母に見せたらね、きっと「可愛い女の子ね」って言うと思うんです。
私の絵を見せても、そこら辺の漫画家さんの絵を見せても、等しく「上手い」「綺麗」「可愛い」とかの言葉しか彼女からは引き出せないんですよ。
というのもね、私と違って母の頭の中には『萌え絵』とかいうカテゴリーは存在しないからです。
kachiraが先述のような感想を持ってしまうのも、偏に自分がオタだからだと思うんですよね。
自分はそれなりに男性向けジャンルの空気を体感して(まだ把握しきっているという域ではないけど)知っていますから、こういう絵がウケるんじゃないかなみたいのは、男性側の立場に立って少しは実感出来ると思うんですよ。
でもね、それって結局は自分の感性じゃないですか。
好きとか嫌いとか、可愛いとか変とか卑猥だとか。
感じる側の問題。
描かれたものにどんな意図が含まれてようと最終結論を出すのは自分じゃないですか。
特に作者が大々的に公言でもしない限りは、その判断に惑わされる事もないでしょう?
だからね、このブログで仰ってる事はあくまでも個人的な意見の範疇であって、社会的規範だとかそういう大層なものに則って語るような話ではないと思うんです。


特に
『グラビアアイドルのような』
……ってこれはこの方の先入観ですよね。
小さい子供だって、というか老若男女誰だってこんなポーズくらい取ると思うんですが、それはkachiraの思い違いでしょうか。
でもkachiraが同じポーズ取ったって「何、グラビアアイドルみたいなポーズとってるんだよ」とは言われない気がします(笑)


『口を半開きにしている』
口、半開きにしてちゃいけませんか(笑)
映画見てる時、ついつい画面に引き込まれてポップコーン食べるの忘れて口をポカーンと開けたままのお嬢さんとか、結構見かけますが。
寝てる時開いちゃうのも不可ですか。顎の筋力退化してると誰でもなるんですけど。
この方はその半開きの口に
一体何を見ていらっしゃるんでしょうね?
そこにその見たまま以上の意味を求めるとしたら、それは受け取る側の見方によるものじゃないんでしょうか。


ううん。そうだなぁ、ちょっと例を挙げてみましょう。
可愛い女の子がバナナを美味しそうに食べてます。これを見てどう思いますか?


微笑ましいなぁ。
可愛いなぁ。
美味しそうだなぁ。
卑猥だなぁ。←(笑)


こんな選択肢を思い付く自分もちょっとイヤン(笑)な感じですが、人の受ける印象て、ホント様々なんですよネ。
まぁ言う迄もないかと思いますが4番目の選択肢は、バナナを『違う何か』に見立ててしまうからそういった印象を受ける訳ですよね。
これは本で見た話ですが中世ヨーロッパでは椅子の足に(多分女の素足を想像させると言う意味で)いやらしいという理由で布を被せてあったんだとか。
人間の想像力って凄まじく豊かなもんで、こんな無機物ですら官能的に映るんですよ。
でもそれって結局全て見る側の妄想の産物じゃないですか(笑)
だからそれを布を被せると言う形で排除するっていうのは、自分で自分の妄想を非難する行為に近いと思うんですね。


さて、これは例に挙げるのどうかなぁとも思うんですが。
皆様は『千と千尋の神隠し』を御存知でしょうか?
見た事はなくとも、聞いた事がないという方は少ないんじゃないかと思います。
この作品のおおまかなあらすじは、『異界に迷い込んだ、始めはただ怯える事しか出来なかった少女が、湯屋で大人達に囲まれて働く内に『生きる』力(即ち生活力・生命力って事かな?)を取り戻す』…という感じ。
さて、この作品は様々な反響を生んだ訳ですが、その中にこんな意見もあったんですよね。
湯屋であんな小さな女の子を働かせるなんて不道徳だ」と。
昔で言う湯屋の湯女というのは、床を共にしたりもする存在だったのだそうで、そういう意味ではこの意見も一理ある訳ですよ。
でもね、なんというか国全体がベネチア国際映画祭の時にしてもなんにしても、割と世間的に素晴らしい、良かったって言ってるじゃないですか。
(皮肉を言えば日本人にとっては世界に認められる事が大事な訳であって、中身なんて割とどうでも良いと思ってると思うんですけどね。海外にいってからしか身内(日本)に評価されない日本の有名人がどれだけいる事か。日本の海外ブランド好きには卑屈ささえ感じてしまいます)
話が逸れたので元に戻して、結局上の例もね、受け取り方なんですよ。
千と千尋』を見て、いかがわしいと思った!と憤慨しても、それはその人の中にその昔のイメージが存在するからであって、現代の若者達に湯屋で働くという事の意味なんて解らないんですよね。


で、こういう例を二つも挙げて何が言いたいって。
このブログの作者様は自分の嗜好をこんなところで暴露してしまって恥ずかしくないのかしらと。
あのポーズ=グラビアアイドルってのは、自分が特にそのポーズを意識して認識していると言っているようなもので、『水着』や『半開きの口』もそこに何かを仮託しているからこそ、彼の憤慨を誘うんじゃないでしょうか。


さらにこれがどうして『少子高齢化・子供が安心して暮らせる社会』と関係あるのかな−って。本当に不思議。
kachiraにはその繋がりが全然読めないんですよ。
だってね、結局この方がこの絵を嫌いな訳でしょ?
個人の嗜好が、社会性がどうたらこうたらってのに、結びつきますか?
ハッキリこういう絵は嫌いなんです、不快です。とだけ言えば良いのに。
彼はこのポスターになんらかの社会的影響を与えるものがあると思っていらっしゃるんですよね。
文化庁のポスターだという点に特に憤慨しているようですが、メールでの返答にもある通り、日本を中心に発達した『オタク文化』の抽象的シンボルがああいう幼女と云う形になって出ただけであって、そこには何の含みも意図もないでしょう。
更に、ここ迄言うと穿った見方かも知れませんがね、彼は幼女の絵がどうこうというのではなく、結局の所『オタク文化を推奨している文化庁』が気に入らないのかしら、って思ったのですよ。
あの幼女の絵を見て恥ずかしいと思った。そういうものが日本の文化として発信されているのが耐えられない、とか。
まぁこちらの理由にせよ、ただ嫌いだという理由にせよ、そんなもんはチラシの裏にでも書くか、一人でぶつくさ言うのに耐えられないんだったらブログでムカつく!と一言言えば良いわけで。
自分が問題があると感じたから、その意見は世間一般に受け入れられるべきだなんてのは独り善がりも良い所だし。(←ごめんなさい、後で読み返して間違ってることに気付きましたので訂正します)
兎に角、もしオタクバッシングしたいだけならあんな表現の仕方はしない方が良いと思います。
とても編集長とか務めてる人間の口から出る言葉とは思えませんから。
情報発信側にこういう私的感情が大いに入り交じる人がいると、受取手は苦労するんですよね、真実を汲み取るのに。
でもオタクを良く知らないでオタクバッシングてのもなぁ。<「所詮オタクって男だけなのかなぁ」という発言より
しかもトラックバック及びコメントを女性の方のみに限定って。
女性の方というのではないですものね。
レディファーストという言葉の意味もどこかはき違えていらっしゃるようだし。
こういうの、いい大人が書いて恥ずかしくないのかな。
まぁ、あんな論旨のすり替えしてしまう人をいい大人と呼ぶのもどうかと思うけれど。


『おもったほどアクセス数は増えませんでしたが』
という言葉だけ見るに全員(私も含め)釣られているのかしら、と思うんですけどね。
まぁいいか。