ラスト・イニング

ラスト・イニング

ラスト・イニング

バッテリーって、本当に終っちゃったんだなーと今更ながらに実感。
いえ、なんかね、全然終った感じがしなかったんですよ。
あれはあれで綺麗な終り方だと思っていて、勿論私は不満も何もないのだけど、でも巧や豪の物語はまだ続いてるんだろな、と心の中でなんとなく思っていたようで。
なんていうのかな。
「バッテリー」っていうおっそろしく長い話があったとしてですね、あさのさんはそのごく一部を切り取って、見せてくれた、っていうか。
なんとなくそんな風に思ってた訳です。
でも今作を読んで、ああ違うな、「バッテリー」っていう物語は、あれで本当に終ったんだと思ったんですね。
瑞垣視点での豪や巧の描写を見て、ああ、彼らはあの話の中で『あの話の中の主役』という役割を完全に終えてしまったんだと。
見つめる瑞垣の視点にはほんの少しの羨望があるのかもしれない、だから彼らが殊更『安定』しているように書かれるのかも知れない。
バッテリーは有る意味『葛藤』の物語で、それは多くは巧や豪のもので、だから彼らのそれが昇華されてしまったら、それは一つのお話の終わりなんですよね。
彼らは、確かに綺麗に纏まったように見えた。
だけどまだ中一じゃないか。
まだまだヒヨッコって言っていい年齢じゃないか。
でも、運命の相手にあうのがいつか分からないように、人がいつ『化ける』のかなんて分からない。
私は、バッテリーで豪という人物は一足飛びに大人になる事を求められたしんどい立場だと思いました。
大人というか、ただしくは揺るぎない精神、かな。
肝が据わりましたよね、彼。
でもそれは巧の所為で、じゃあ巧が苦しまなかったかと言えば、彼は彼で苦しんだ。
彼の言語は他者のそれと混じり合わないと言うか、ひどい言い方すると、巧と他者の接触って生活習慣の近い宇宙人との接触みたいだよなと。
異邦人でもいいのかな、決定的に他者と根本から違うところがあって、そこをどうやってぼっきり折らずに他者と意見をすりあわせていくかみたいな(笑)
なんか酷い言い様ですがそんなイメージがあったんですよ。
ただ彼らはなんか二人して階段三段飛ばしで駆け上がって、上に上がったら同じ踊り場に立てちゃったんですよね。
瑞垣は、彼らより子供かもしれないなと思います。
知恵の付いた子供。人より早く、うてなで世界を見渡す事が出来てしまったが故に、悪い意味で分をわきまえてしまった感じ。
そんな過小評価しないでいいのに、と思います。
彼の、幼馴染へのコンプレックスを見ていると、子供が子供らしくあるのは結構必要な事かもしれないなーと思います。
なんか他人の目からいうからなんですけど、瑞垣って自分で損してる気が。
賢い生き方が得な生き方とは限らないよね。
一応、作品を読むに、彼は希望の糸を掴んだ感触で終っていましたが、私としては少し未消化な感じ。
もう一冊出すには微妙な分量かもしれないけれど、彼にはもう少し顔を上げて欲しかった気がします。
作品としてはとても楽しめました。
多分キャラ萌えだけで読むのは勿体なさすぎる作品だと思います。
しかしあさのさんの文章って、いつも情景の描写が綺麗だなぁと。
岡山(ここ初め広島とか書いてました。素ボケですみません;)の気候とか、全然分からないけれど、バッテリーの世界なら容易に四季が想像出来ます。