アーシュラ・K・ル=グウィン氏のコメント2

Email Experiment: What's Happened So Far
映画「ゲド戦記」を見たファンからのメールを受けてのお返事のようです。
Gedo Senki: Responses from Correspondents
更にゲド戦記Wikiにアップされた訳文も。
こちらは引用させて頂きます。

E-mail設置の試み:ここまでの出来事
この試みは今のところうまくいっているようで、興味深く感じています。 日本から、宮崎吾朗氏のアースシー・フィルム「ゲド戦記」を観たというたくさんのメールが届いています――この映画が(原作)本とかけ離れていることを嘆いているものや、この映画を熱心に弁護するもの、 ほかにもこの事について、(特に感情をまじえず)状況を語り議論する内容のものがありました。 わたしは、メールを送ってくださった人たち全てに感謝しています。

注意:わたしはこのアドレスをビジネスや、(個別の)返事をするために使っていません。 仕事の依頼や、イベントへの出席依頼、推薦広告(他の著者の著作への推薦文)の依頼、などなどについて。 仕事関連の返事など必要なものについては、わたくしのエージェントへメールを送ってください。 わたしは頂いたメールをひとつひとつ読んでいますが、それぞれの方の質問に個人的にお答えすることは できません。しかし、多くの方が同じ質問を投げかけられ、同様に関心をよせるような点が見受けられれば、 このサイト上でお答えしていく心づもりです。

原典:Ursula K. Le Guin Email Experiment: What's Happened So Far

映画「ゲド戦記」:メールをくれた人たちの反応
映画「ゲド戦記」について、日本からたくさんのメールがきています。熱をこめて映画を弁護しているものもあれば、非常に失望したというものもあります。意見がこのように分かれていることについて、よく考え抜かれた興味深い便りが日本にいる一人の書き手から来て、引用も承諾してくれました。

― UKL 8/19 2006

ある日本の投稿者から
私は数日前に例のジブリの映画を観て、今日あなたのコメントを見ました。日本のインターネットのサイトにおける議論のことは、すでに多くの人があなたに書き送っているのではないかと思います。あの映画に激しく失望した(呆れた)人たちも多い一方で、映画に歓喜した(元気づけられた)人たちもまた、数多くいます。奇妙なのは、喜んだ人たちはしばしば、失望した人たちに対して敵意をもって反応するのに比べ、その逆はめったに見られないことです。

あのジブリ映画は簡単に言えば、理由もなく父を殺した少年が逃げ出し、 その後彼に何が起こったかという物語です。他の登場人物たちはみな、 (父殺し・逃亡という)その事実にもかかわらず、彼を信用し、何もかも 失われたと思える時にはいつも彼を助けてくれます。明らかに、感動したグループの多くの人はこの映画を、生きる意志を与えてくれるものだと思っているようです。彼らがこの物語を弁護する真剣な熱情は、迷路で道を見失った者が矢印の彫り込まれた扉を見つけた途端に、他の旅人から「その扉の向こうにある通路は行き止まりだよ」と言われたら、こうもあろうかと思わせるものです。

分裂した二派の間にあって、橋をかけようと努める人たちもいて、非難と苦痛に対し論理と同情をもって応答しています。この状況全体が不気味な感じで、原作にある場面に似ています――たとえばロークの賢人たちが、トンボを迎えあるいは壁のことで、恐ろしい変化に直面して、二派に分裂した時のようです。    ― 日本からの通信

(さらに最近、最も熱烈に映画を弁護している人たちのことを、同じ人がこう評しました)

(映画に)最も影響を受けた人たちは、ある意味いちばん無防備で無垢な人たちです。彼らに分かっているのはただ、自分が感動したということ、主人公の少年が最後に罪と不安の重荷を下ろしたところで、救われ幸福な気持ちになったということだけです。だからこそ、より客観的な視点の意見に傷つけられ、攻撃的になりがちなのです。まだ考える意志のある人も、あなたのコメント(辞書を使って読んだ)によって気持ちが揺らいでいる人もいますが、――悲しいことに、一切の批判を受けつけず監督を擁護して、つじつまの合わない点は原作の落ち度にする人たちもいます。それでもなお、彼らはみな被害者なのです。大きすぎる責任が、それを負うだけの力を備えていない誰かに負わされた時から始まった、その連鎖反応の。     ― 日本からの通信

原典:Gedo Senki: Responses from Correspondents