さらにゲド戦記

丁度2003年〜2004年頃ゲドを読んだ時の感想が残っていたので、
こっちもあわせて上げておこう。
おおまかな話の荒筋が感想から読め……ないかな(おい)
外伝出る前に書いたのか外伝はどうも書くのを忘れたらしく見当たらず。




ゲド戦記 影との戦い

かなり昔、そうですね、小学4〜5年生の頃読んだ作品です。
最近色々児童向け作品を読んでいる内に読み返したくなった作品の一つ。
いや〜面白かったです。幼い頃の純粋な『ワクワクドキドキ』を思い出しますね!
ゲドとカラスノエンドウの友情とか、いいなぁと思います。
物語初め、幼く、自分の事しか見えていなかったゲドが、成長と共に色々な事を学び取っていくことが、我が事のように嬉しく思えました。
『壊れた腕輪』を読んだ時に初めて気付きましたがそういえばこの話って全くといっていい程女っ気がない。
でもそういうのが入る隙がない所もまたいいんですよねぇ。一大冒険叙事詩って感じで。
幼い男の子向けかなぁ。女の子はやっぱり女の子が出て来て欲しくないかな?
幼い頃ってやっぱり感情移入が一番ですからそういう意味では男の子向けなんですよね。
でも実際こうして年を経てから思うのは、表向きのゲドの足取りを辿っての冒険よりも、彼の心情の移り変わりですね。
ただ単に『影』を『怖いもの、なんとなく危険なもの』としてしか認識出来なかった頃と違い、『人の心の闇』というものの意味が少し分かりかけて来ているから、それに立ち向かうゲドを、真に勇気のある者だと思えるというか。
自分の内から出た闇を自分自身で始末をつけるというテーマは、こうして見るとかなり深いんだなと思います。
しかも具現化するんですよね、具現化。
……私の影が具現化なんぞした日にゃぁ……。
胸を張ってお勧め出来ると思います。ただ、子供向けとしては少し文体が堅いかな?
あと、そうですね特筆すべき点として、この話のあとがき、訳者の清水真砂子さんが書いておられるんですが、流石と言うべきか、一番話の深い部分まで見えている気がします。とても納得出来るあとがきです。
まるでル=グウィンがあえて書かなかった『言いたい事』を代弁しているかのような気がします。
これから読む方は、あとがきまで読んでみて下さいね。

ゲド戦記 壊れた腕輪

面白いです。内容でいえば多分影との戦いの方が面白いですが、こっちは割とグイグイ読めます。
影との戦い』とはある意味対照的な部分が多いですね。
物語の舞台は殆どがアチュアンの墓所の中。
今回はゲドではなく墓所の巫女『アルハ』を中心に話は進んでいきます。
テナー(=アルハ)の心の成長物語、ですかね。今回ゲドはそれを手助けする形で登場します。
影との戦いを経て、なお幾多の困難をくぐり抜けて成長を遂げたゲドです。
すごく格好よくなってました……惚れちゃうよ、こんな人がいたら。
ハイタカ』って名前の所為もあるかもですが、今はなんとなく『もののけ姫』のアシタカのイメージが強くて(笑)
きりっとした好青年、いいなぁ。
テナーもね、可愛いです。自分の知っている世界の狭さを認めたくない気持ちとか、その世界の輪郭を断ち切って外に出ていこうとする事の怖さとか、彼女の心の葛藤がとても丁寧に描かれていて感情移入しやすいですね。
最後の辺り、こういった話には珍しくハッとするような場面があるのですが、それも本当にテナーの気持ちになれば当り前のエピソードだったりして、とても繊細な描き方に感嘆しました。
幼い頃読んだのとは随分違う読み方が出来るもんですねぇ…。本当に児童文学って侮れない。

ゲド戦記 さいはての島へ

今回もいい意味でやられました。あ〜好きだ、ゲド。
実は今回、ゲドがもう結構いい歳で登場する事を覚えていたので二巻までの素敵な青年ゲドにスキトキメキトキス(笑)だった私は、なかなか読み出す事が出来なかったんですが。
読み終えるとなんのこたぁない。
「ゲドはおじさまになってもおじいちゃんになっても大好きだ……」という結論に(笑)
三巻目、彼は色々な部分で他人を超越し、達観した人物『大賢人』として登場します。
それでも彼はほがらかな笑みを忘れていないし、少年のような悪戯心も忘れていない。
こんな素敵なおじさま他にいないよ!と。
特に「生命あるからだなら苦痛もきっと味わうものよ。生命があってこそ、からだは老いて、死んでいく。死はわしらが己れの生命に、生きてきたその生のすべてに支払う代価なのさ」という台詞にメロメロに。
今回は若き王子アレンがゲドの旅の供になり、結果それは彼自身のための旅になっていくんですが、相変わらず、丁寧な心理描写が好きです。
舞台は前回とは一転して、タイトル通り最果ての島やらで各地を点々とします。
今回はおおまかにアレンの視点で話が進められているので、ハイタカ(ゲド)の心情は殆ど読めません。
そういえば前回の腕輪もそうでしたが。
他人の目を通して語られるゲド、そしてアースシーという世界。
今回は色々戦慄を覚えるような描写が沢山ありましたね。
希望溢れるファンタジー世界というものに、今自分の暮らす現実を突き付けられたような。
今回も秘められたテーマは深いです。
最後の方はかなりどきどきして読みました。
童心に帰ったというよりは、今読んだ方がきっと怖いからですね;
幼い頃、まだ死というものがそれほど実感出来ない頃に読んだものですから今回読了後はなにやら思う事が沢山ありました。
次に進むにあたって全く違う本が一冊読みたくなりました。というのもこの話がまだ整理出来ていない感があるので、その整理がつくまでは『ゲド』の最終巻(次巻が最後なのです;)には手を出したくないな−、と。
面白かったです、はふー。

ゲド戦記最後の書 帰還

うわ〜ん、やっぱり好きです、この作品!
今回は久し振りにテナー、そして謎の少女テルーが登場。そしてゲドがさいはての島からの帰還を果たす辺りから物語が始まります。
テナー、やっぱり……してましたね。小さい頃初めて読んだ時もね、二巻目を読んだ時にこの二人はすんなりとはくっつかないだろうな〜等と生意気にも幼心に思ったものです(笑)
彼女の気持ちも解らないでもないかな。
ゲド!!! この朴念仁め!(笑)
それだけに今回のゲドはなんだか可愛いです。
コケばばのいう15歳くらいっつ〜のがまたなんとも……(苦笑)
一度で二度美味しい人物だ、ゲド。
と、腐った感想はここまでにして。
なんだかんだいって全てはテハヌー(=テルー)を中心にこの話は進んでいる気がします。彼女の神秘性は物語の一番最後に更に強くなってしまうのですが、彼女の謎については詳しく明らかにされないまま物語は幕を閉じます。
『普通の女』になったテナーと、『普通の男』にならざるをえなかったゲドが最後に共に家庭を作ろうとしていくエンディングが好きです。
でも他にも色々と思う事はあって、流石に最後の書、と銘打たれていたので感慨深かったです。
今回読んだ時はほっとしたのもありましたが、幼い頃はもう読めなくなるのかと思うとひたすら悲しかった覚えがあります。
そして実はこの度『最後の書』と銘打たれたにも拘らず、今年、10年ぶりくらいに新刊が出まして(まぁそれをきっかけに読み直す気になった訳ですが)もう、滅茶苦茶嬉しいです。
テナーに、ゲドにまた会える♪ テハヌーの謎も明かされているそうですし、すご〜く楽しみ!!
女の強さを身につけたテナーがとっても素敵でした。
二人の物語が同じ処に帰り着いたのが凄く幸せで、なんだかほわほわした気分です。読了感いっぱい。

ゲド戦記V アースシーの風

読み終わった後、涙が止まりませんでした。
いや、感動したとかではなく。どちらかというと読了感で胸がいっぱいになって。
今回は信じられない程ゆっくり、自分にはあるまじき速度で読みました。これが最後だと思うと一文一文の意味を噛み締めずにはおれなかったのかも知れません。
そしてその通り、本を閉じた後に、本当に、この作品は終わってしまったのだな、と思いました。
指輪物語を読んだ時にも感じた事ですが、壮大な物語の幕引きは多大なる充実感と共に一抹の寂しさを齎します。
勿論凄く面白かったんです。多分、最後だという事さえ知らなければ、あっという間に読み終わってたんじゃないかという程に。
ずっと、そう実に10年もの間謎のままだったテハヌーの正体や、アースシーという世界の変化が漸く解き明かされたのです。
これで興奮しない訳がない。
10年もの間、ル=グウィン女史の内面にもきっと色々な変化があったのでしょう。最後の書という副題を反故にして描かれた『アースシーの風』は、以前の『ゲド戦記』にも描写されていた世界の光と闇をより一層際立たせていました。
人が得て、その代償に失ったもの。
生と死の境界。生死を超えた愛。自分の領分を受け入れられず、更に手を伸ばす欲。権力、富、偽り、不安、弱さ。
余りにも多くの事が書かれていて、感じる事考える事頻りです。
ハンノキがどうなるのかは序盤に薄々感じとってしまって、でも、きっとそうなるのが彼にとって一番良いのだろうな、と思いました。
アースシーという世界全体の事についてはその部分に辿り着くまであまり考えられませんでした。この作品が提示する、現実にある問題が山とあったからかも知れません。物語に織り込められた数々のテーマはどれも深く、私達が常に考えるべきものです。
何を書いても書き足りないという思いですが、私の拙い言葉よりも雄弁にこの作品の魅力を語っておられる方がいます。
訳者の清水真砂子さんです。
彼女の後書きは、いつも私の思いをそのままに自由に文字にのせておられます。そして彼女自身の言葉がより強く私に響いて来ます。本当に素晴らしい翻訳者の方だと思います。
ああ、本当に幾ら語っても飽きないなぁ。