徒然なるままに雪風・3

ふとブッカ−少佐の側に立って考えてみた。
友達が戦場で消息不明になった。……そりゃ必死になって探すわな。
いや、自分そんなスキル無いもんで「おれが飛ばす!」とかは言えないですが。
外は凄い数の敵、絶望的な状況。出てかなきゃいずれ死ぬ。でも出たらほぼ100%死ぬ。
死なないで済むかも知れない友人の傍よりも、愛機と死に近い場所に向かう事を選ぶ。
いや、普通に切ないわ、と思ってしまった。
別にジャック×零好きな腐女子さん相手に茶々入れたい訳でもなく、(ていうか自分も腐女子だし)
「アニメ版フォモ臭い」という原作大好きな男性層に対して気のせいだと言いたい訳でもなく。
でも実際自分が彼の立場だとしたら、凄い切ないと思う。し、似たような行動取ると思う。
(あ、でも多分ガラスは割らない。あそこまで激しくない、多分。ていうか怪我したくない)
雪風死ぬ程好きだし、人間より機械愛しちゃってもいいんじゃね?って思う私ですが、
それでも友達が何よりも『そっち』に行っちゃったら、自分は切ないと思う。
……って時点で、やっぱ私は零の雪風好きにはかなわないんだなーと思いました。
零なら、多分他人がそういう風に自分ではない何か(誰か、ではない)を選んでも、
それはそれで自然に受け止められるんだろうと思うから。
「自分は機械に負けたのか」とは思わないだろうからねぇ。
要するに物と人とで優劣を考えるという事自体が無いというか、同列に扱ってるんだろうなーと。
人も機械も優秀なのが好きだと言っていたけれど、それは本当に人も機械も一緒くたなのね。
例えば雪風を乱暴に扱っていた輩が居たとしてですね、彼はどれだけ彼女(雪風)を愛しく思っていても
「乱暴にするな」と言う事はあっても「モノ扱いするな」みたいな事は言わないだろうな−とか。
や、まぁ当り前っちゃ当たり前なんですが。
雪風がいくら零とともに知性や世界を認識する力を貯えて来たからと言って、
やはり人の手によって生み出された『物』。
物は物であってそれ以上でもそれ以下でも無くて、そして物が人間に作られたからと言って、
人間より劣るかと言えば決してそうでは無い。
零にとって雪風はどれだけ大切であってもやっぱり『物』なんだと思う。
ただ、その『物』の認識の仕方が多分異なるんだろうなーってだけで。
〈改〉とグッドラックを読んで、あれだけ人間を置き去りにしていたコンピュ−タ−群の描写を
見ていたのに、やはり日常レベルでの認識が自分には足りないのだな−とか思ったり。
いや、何も人間より機械好きになる事を自分に強制してる訳ではないんですけどね。
でもなんか悔しい(笑)
物を物として捉えつつも、人と同列に扱う、ってのは存外難しい事なんじゃないだろうか。
日常レベルで愛着を持っているモノっていうと手っ取り早く考えると私なんかはMacな訳ですが、
名前付けたりして、フリーズしたら「また拗ねた」とか擬人視したりしても、
やっぱりそういう擬人視あってこそ愛着が湧いてるのかも知れないし、正直物そのものの性質のみで
愛せるかと問われれば謎。
……とかいう所まで考えて、そういや雪風は自立した思考があったんだわ、
同列に考えるのが間違ってた……と気付きました。←バカ。
うちのMacも喋らないかなぁ。
それともたまに鳴らされる警告音とかに萌えるべきなんでしょうか(笑)