徒然ざれごと。



↓虫系のお話苦手な人は回避宜しく。




















御飯を食べていると、ふと目の前のサラダの一部が動いていました。
じっと見てみると、ちっちゃな虫が。
おかしいなぁ、ちゃんとレタス洗ったつもりだったのになぁ。
ああ、でもお前私に食べられなくて良かったね。
でも良くもないか。シーザードレッシングまみれだわ。
うーんどうしよう、この子箸でどけて食べようかな、などと思っていると、もぞもぞ動いていた奴は、急に動かなくなりました。箸で摘んだ葉っぱでちょこん、て押してみても動きませんでした。
ドレッシングの海に溺れて逝ったか……。
などと感傷に耽っている場合でもなく。
せめてお前が潜っていたレタスと一緒に埋葬してやるよ、と。




ゴミ袋に捨てました。




命って儚いなぁ(どんなオチだよ)








さて、命が儚いでつい思い出してしまいましたMyわんこ。
これでわんこに関する話は最後になると思います。
わんこが死んで、とてもとても悲しいですが、多分飼い主の私よりもショックを受けているのが母です。
母にとっては、3番目の子供と言っても過言ではなかったと思います。(4番目はにゃんこ)
勿論、私にとってもわんこは『家族』でしたが、母と私ではそもそも『家族』に対する思い入れが違い過ぎるのです。
父出張、そして母が海外旅行中に一人でこっそり東京に来て、家を出る準備を勝手に始めて、その一ヶ月後には「じゃ行って来るわ」とまるで旅行にでも出るような気軽さで家を出て来た私。(そんな感じだからすぐに戻って来るかと思われつつもうそろそろ6年目です)
対する母は、家族が傍に居ないと淋しくて耐えられない家族というものに依存しきった人。私が家を出ると言った時も泣いて喚いて怒ってもうめちゃくちゃ(笑)……笑う事でもないか。
そんな母と、いつだって自分の行く道に邪魔なら親だろうがなんだろうが振り切ってしまうだろう自分の『家族』に対する思いは段違い、というか全く異質なんですよね。
そして、既に実家を出て久しい私と、それからも毎日わんこと共生してきた母とじゃ、日常への溶け込み方が、もうかなり異なってしまっているのです。
毎日行っていた散歩。生活費を圧迫する御飯代。吼えたりして御近所から苦情が来たりとか。
そういうものが本当にいっぺんに無くなってしまって、ガランとした犬小屋が残っているだけ。
その寂寥感は一体どれほどのものでしょうね。
あれほど家族を愛している人なら辛さも相当なものだろうなぁと思います。
早く元気になって欲しいものです。