今、そこにいる僕

を見ました。13話までブッ続けで。
ものすごい落ち込んだ記憶だけが強く残ってたので、心して掛かったら以前よりはショック受けませんでした。
いや、でも4話辺りから毎回1度くらいは「誰かなんとかしてやってー。・゚・(ノД`)・゚・。」みたいに。
痛々しさで言えば2話の時点でもかなり酷いですが。
よくこの話ではシュウが無力だって言われてるんですけど、私はそれはどうかなぁと思います。
確かにシュウが誰かの命を救えたのかと言われれば、サラは勘定のうちに入らない気がします。
もしかしたら誰も救えてないのかも知れないし、むしろ犠牲者を増やしている事もあるかも知れないです。
でも、完全な人間不信に陥っていたララ・ルゥに、人の持つ優しさ、温かさを教えてあげた。
殺人を犯す事に対しての罪悪感が希薄になってたナブカやブゥに、彼らの生来の感情、思考を取り戻させた。
そして失意のどん底に叩き落とされていたサラに対しては、行われていたならその先きっと彼女を苦しめたであろう事を未然に防いだ。
それで、充分なのだと思います。
「自分のいるべき場所で、自分が為すべき事を全力でやる」、シュウはそれをこの物語で徹頭徹尾貫いてます。
彼は常に自分の信念に基づいて動いているんです。
その姿こそがこの物語を揺り動かした根幹であると思います。
最終話近くで、ハムドを暗殺しに行こうとした男の言葉を聞き、彼は「あれであっている気もするけど、でも同じくらい間違ってる気がする」といいます。
病弱な妹は兵に連れ去られて、移動途中に捨てられて死亡。死体は獣に食い荒らされていた。
妹を連れ去られた後、村は焼かれ両親や親しい人は焼死。
自らの復讐と、他者の犠牲を未然に防ぐという名目で、男は暗殺を望みます。
しかし本当に復讐と他者への慈悲が同時に成り立つのか、私には疑問です。
二つの名目がある限り、優先されるべきはどちらかがあって、もう一つは建前という名の付属品に過ぎないと思うんです。
と言い切ってしまうからにはこの二項目だとどうしても「復讐」こそが先に立つと考えてしまうからなんですけど。
自分が他者の殺害を本気で考える程追い込まれている時に、本当に他者へ慈悲や優しさを向ける事が出来るでしょうか。
私は、よほど出来た人間でもそれは難しいんじゃないかと思います。
シュウがどちらとも言えなかったのはすごく当然の事ですよね。
彼個人の憤りは充分に理解出来る、そして拡大する被害を塞き止める事も重要。
けれど、それが暗殺という方法で成し遂げられるのには納得がいかない。
話が通じないような相手だと言う事はシュウも肌身で知っている。
シュウは命を奪うという事はそこに新たな憎しみや悲しみを生み出す事だと分かっているから、どんな事があっても「死なせる」のは嫌なんですね。
でも、近しい人を亡くして他者を恨む気持ちも理解出来るから余計に苦しい。
シュウはあの年で厳しい現実突きつけられたよなぁ……。
相変わらずしんどいお話で最後辺りはホント辛くて泣いてばかりなんですが、それでもこの作品は良い作品だと思います。
いや、しんどいよ、ホントしんどい。
でもそれは自分も凄い考えさせられてるって事でもあるんですよね。
感情的にしんどいだけじゃなくて、自分ならどうするかを拙い思考回路使って一生懸命シミュレートするんです。
出来るかどうかの話ではなくて、自分がすべき最善の事、というのを考えさせられるんです。
ツラい、キツいだけの作品じゃないんです。
まぁ大雑把に言うと戦争の話なので残酷な描写とか尽きないですが、一度は見てみる事をお勧めします。
少なくとも私は見る価値のある作品だと思います。


引き合いに出す所間違ってるとは百も承知だけど、キラ・ヤ○トさんとか夫妻にはせめてこれくらいはまともに描いて欲しかった所ですね。(悲しみの連鎖だけで思考停止してたもんな、アレ)