9月頭に行った旅行記(今更にも程がある)

8月31日夜に出発。
本当は時かけ見てから行こうかと思ってたんですが、旅行の準備していなかったので
ばたばた準備して忘れ物しても困るしなぁと思って諦めました。
一日は車中泊とは言え6泊7日。
なのに、荷物は会社行くときに持っていくような手提げカバンにキャリーバッグ(最小)のみ。
キャリーバッグはホントちっさくて、これで全部入るのかなぁ、なんて心配してましたが
取り越し苦労もいいとこでした。
翌日の晩、カバン開けたら荷物偏って、半分くらいスペース余ってんの(笑)
……女としてこの荷物の少なさはおかしくないか……?
今回泊まるとこ、アメニティ充実して無いとこもあって、
バスタオルもタオル他も持参してるっつうのに。まぁそんなことはいいか。
初日は横浜まで移動して、日付変更してからムーンライトながらに乗車。
ムーンライトながらってのは東京〜大垣(岐阜)間を走る夜行列車です。
勿論死んだ医者もとい寝台車ではないので、駅にも停車しますしアナウンスも有りです。
でも前回の帰郷でどういう列車かは良く分かっていたので、耳栓&座り寝用の枕持参。
ちなみにわざわざ横浜から日付変更してから乗ったのは青春18きっぷ使いたかったからですよ。
私の住んでる場所から考えたら東京から乗った方が近いんですが、
18きっぷは「初めに改札を通ったその日一日特別料金が掛からない電車に乗り放題」なので、
夜から使うと大変な損なんです。
あと意外に知らない人多いのでビックリしたのですが、18きっぷは年齢制限ありません。
何歳の方でも使えますよ。
ただ、使えても追加料金の掛からない快速とかまでなので、
急ぎの人や長時間電車に乗る事に慣れてない人にはあまり意味がないかもしれません。
とまぁそんな感じで日付変わってから電車に乗りまして、以前乗った時よりは快適に過ごし、
うつらうつらしていたら大垣に。
雨がしとしとと降っていて、「うお! 長袖持って来るべきだった?」と焦りつつ乗換。
外に出たらやっぱり少し肌寒くて、初日からこれかよーとちょっと腐る。
大垣→米原はまぁよかったのですが、米原からの乗り換えでミスって(寄り道してて)
当初乗る予定だった電車より30分近く後の電車に乗る羽目に。
……ホント大都市の運行ダイヤって異常なんだなーと実感する瞬間。
まぁ丁度いいかと思って、この間食べ損ねた近江牛弁当を朝食にもぐもぐして待つ。
米原からは確か直通で山陽本線乗り入れで相生まで。
更に岡山で乗り換えて広島まで。途中買って食べた駅弁のままかり寿司も美味しかったです。
広島駅に着いたのが三時過ぎだったかな?
乗り継ぎ含めて移動が15時間超えたのでさすがにちょっと疲れも。
でも、鈍行でもずっと乗ってて景色見てると面白いんですよね。
明け方大垣で小雨ぱらついてて、その後もずーっと雨か曇りだったのに、
明石か加古川の辺りではすごい綺麗に晴れた空。
や、長距離移動してるから当たり前なんですけど、新幹線だといつの間にか変わってるじゃないですか。
でも鈍行だとその移り変わりがまじまじと見れるのね。
あと電車の揺れとか景色とか、結構そういうのも楽しいです。
それはさて置き、広島でコインロッカーに荷物を預けて(ホテルのINには早かった;)、
呉まで移動。目当ては大和ミュージアム。一度は絶対に見てみたかったので。
今ふと思ったんですが、もしかして山陽本線で広島出るより呉線で直に呉行った方が
時間短縮できたんでしょうか。
初めは荷物のこと考えると一旦広島行ってから荷物預けて呉行こうと思って、
そうしたんですけど、時間かなり短縮できたんだったら三原駅から乗り換えればよかったなぁ。
さて、大和ミュージアム、館内は平日ながら私みたいな観光客がちらほらいましたが、
年齢層が高めの方が多く、割と落ち着いてゆっくり観覧出来ました。
「大和」ミュージアムだというのに、なぜか雪風の資料を頻りに探す馬鹿がここに一人。
賠償艦として中国に引き渡されてしまった雪風ですが、その当時の乗員達の寄せ書きに
何故か涙してしまったり。
いや、なんかすごい達筆で「さらば雪風」とか書かれてるの見ると……
船もまた愛されてたのねーって、単なる「モノ」で終わってしまってなかったところに
なんだかじんわりとしてしまいまして。
いや、大和の資料も勿論色々興味深かったんですけどね!
ていうか亡くなった乗員のご遺族のビデオとかは泣かせる為にやっているとしか……!
いや、色々勉強になりました。
「男達の大和」とか見てもやっぱり傍観者としてエンターテインメントを楽しんだんですが、
生の資料はね、なんか怖い。迫ってきます。
復元したものとは明らかに違う生々しさが漂ってる。
家族に宛てた遺書とか、もう泣けるとか通り越して鳥肌立ちますよね。
んー良いものを見ました。
ミーハー的な観点でも、とても面白いものがいっぱい見れたしね。
当たり前で仕方ないことなんだけど、展示資料が写真に収められなかったのが残念。
で、某赤煉瓦の建物とか見たりしながらブラブラした後、再度広島駅に戻りました。
ホテルは市街地方面だったので市電で移動。
前に熊本で乗った時も思ったけど、やっぱり路面電車っていいな。バスより味が有りますよね。
ホテルに荷物を置いて、フロントに美味しい広島焼のお店を教えてもらってそのお店へ。
いや、マジで美味しかったです。しかもボリューム凄いの。一枚でお腹いっぱい。
ちゃんとした広島焼って多分食べるの初めてなんですけど美味しかったです。
トッピングもかなり色々あってお好みのが作れるので、また違うのも食べてみたいなー。
ウマウマ言いながら食べて満足した後はホテルに帰ってひと休み。
丁度女子バレーやってたので見てたんですが、いつもならあり得ないのにTV見ながらうとうと。
こりゃいかんと思ってお風呂入ってベッドにぼっふり座り込んだら朝でした。
……余程疲れてたらしいです(笑)
それでも朝は規則正しく6時半起床。
宿泊プランが朝食付きだったので、寝惚けた頭でぼんやりと朝食を。
窓の外見てサラリーマンぽい人が出勤していく様子を見てそういや今日土曜だっけ、と思ったり。
ホテルのフロント近くに備え付けのパソコンがあったので少しお借りしてここの更新(笑)
部屋に戻って、出る準備をして、本日の第一の目的地、平和記念公園へ。
平和記念資料館では昨日の大和ミュージアムを遥かに上回る戦争史料が展示されてあって、
もうその生々しさの凄いこと凄いこと。
来館者は想像以上に他国の方が多く、しかもかなり多国籍な感じでした。
中国か韓国辺りの学生らしい人もいたなぁ。
日本人と違い、彼等はビデオ資料などは入り口で借りれる音声ガイドが必須だと思うのですが、
それらに真剣に聞き入り、資料をじっと見つめる目は、
下手をすると日本人観光客のそれよりも真剣だったかも知れません。
遺書や、遺留品展示の辺りでは、痛ましそうに眉を顰めたり、
涙ぐんでいる方も結構いらっしゃいましたね。
ああいう資料前にすると、兎に角戦争への嫌悪感が募ります。
原因とか結果とかそういうものもさておき、こんなことは繰り返したくないなぁ、
という気にさせられますね。
順路の一番最後に、来館者のメッセージを書き込むノートが設置されていたんですが、
それがもうホントに凄い多国籍ノートになっていて。
書いている内容は解らなかったんですが、わざわざメッセージを残すって事は、
ここの資料は正にしろ負にしろその人の感情に働きかけるものがあったんだなぁと思うので、
様々な国の人の言葉が残っていることは嬉しかったです。
時に全く正反対の感想を持つものでも、「何も感じない」よりは対話のしようが有りますものね。
外に出て公園内を歩く。
原爆ドーム発見。
この時空は凄く澄み渡っていて、鮮やかなくらいの青空だったんですが、
それだけにその朽ちた感じが逆に引き立つと言うか……。
これ、補強工事か補修工事かをされてましたよねぇ?
でもやっぱりなんか凄まじさを感じてしまう。
それはもしかしたら小さい頃に教えられた戦争に関する話や、原子爆弾投下にまつわる話が
自分の中に根差しているが故に際立ってしまうものなのかも知れませんけれど。
でもこれは保存しておくべきものだなと思いました。
広島でも戦争を経験した人々のメンタルケアの為にかな、
当時からある建物の殆どは建て替えられているのですが、
これだけは保存を強く望まれた理由が解る気がします。
戦争の爪痕は全部は消さず、残しておくべきだと思いますし。
歴史的資料ってのもそうなんですけど、それ以上に人の心に何か訴えかけるものとして、
保存されていくべきかなぁ、と。
小学生の頃習ったきり、あとは歴史くらいでしか習わなかった戦争の事ですが、
こんなにでかく(笑)なってからでも、見てしまうと心に強く残るので。
広島のこれは長らく行きたかったところなんですが、本当に今回行けて良かったです。
すぐに何か自分を変える切っ掛けになるとは思わないけど、自分の糧には間違いなくなるだろうなと。
で、そんな事してたら市電一本乗り遅れて。
そしたら三陽本線自体が次来るの30分後。
………………。
到着時間まで見越して計算してたのに。
と言う訳でこの後電車で移動して合流予定だったNさんに「遅刻するよ」メール。
次の電車に乗り今度は福岡へ向けてGo。